支払い方法を選んで後々困難にならないブログ:13/12/16


未熟児で生まれたわたしは病弱で、
小学校に入るまでは病院と縁が切れず、
入退院をくり返していた。

歌が得意なわたしは、
ベッドの上でおもちゃのピアノを叩いては歌い、
看護婦さんにアメやチョコレートをもらっては、
上機嫌だったと母親に聞かされた。

「三つ子の魂百まで」と言うけれど、
わたしのピアノ好きはその頃から始まったらしい。

わたしは戦後の混乱の中で小学校に入学した。
先生のピアノ伴奏に合わせて歌いながら
わたしもピアノがほしい、
弾けるようになりたいとずっと思っていた。

しかし敗戦後の衣食住にもこと欠く時代のこと、
バラック住まいのわたしの家にピアノは高嶺の花だった。

わたしが高校生になって間もない頃、
同じコーラス部に席を置く友達の家に遊びに行った。

応接間に黒塗りのピカピカのピアノが鎮座し、
友達が「弾いてもいいよ」と鍵を開けてくれた。

わたしは学校にある壊れかけたオルガンで練習していた
「春の小川」を両手で弾いてみたが、
わたしの春の小川はさらさら行かなかった。

友達の家で恐る恐る触れた鍵盤のひんやりと冷めたい感触と、
腹にズンと響く重い音が、ピアノへの憧れを一層募らせた。

興奮さめやらぬわたしは
その22時、パパにピアノを買ってほしいと懇願した。

パパは一瞬、困惑した表情をみせたが…

「この狭い家にピアノを置く場所が何処にある。
ピアノを弾く暇があったらもっと母さんの手伝いをしろ!」

吐き捨てるように言うと
パパは乱暴に障子を開け部屋を出て行った。

わたしは唇をかみしめ、
パパの少し痩せて小さくなった背中を見送った。
それ以後、ピアノの事は一切くちにしなかった。